10.研究開発チームの活力と人材育成の話 - 技術力向上 - プロジェクト・レポート・バックナンバー - ロジカルシンキング

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10.研究開発チームの活力と人材育成の話 2011.01.21改

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目次

1.まえがき

2.経営者(社長、研究開発管掌役員)の役割

2-1.会社には必ず欠陥がある、欠陥がなければ経営者は不要である
2-2.経営者は会社(または研究開発部)の欠陥を分析し、それを明快かつ簡潔に社員に示さなければならない(明快、簡潔でなければ、共感が得られない)
2-3.経営者は経営理念、改革理念を明確に示さなければならない
2-4.欠陥の明確化、改革理念の明確化、トップの情熱があれば社員の改革意欲が生まれ、全員で取り組む改革手段も生まれる
2-5.改革の成功例が生まれれば、全社的に喜びを分かち合え、会社が活性化され人
材が育ち、さらに活性化が進む
2-6.経営者は研究開発チームの最大のサポーターでなければならない

3.研究開発トップの役割

3-1.研究開発トップは会社の方針を理解し、研究テーマの選択とプロジェクトリーダーの選定に心血を注がなければならない
3-2.プロジェクトリーダーに全てを任せろ、任せることは放任ではない、誤った方向に進み始めた時にアドバイスを与え、修正しなければならない
3-3.研究開発トップは外にでろ、外に出なければ3次元的情報が得られない、また自分のチームの欠点も見えない
3-4.研究開発トップは外部からの圧力に対し、プロジェクトリーダーを守れ
3-5.プロジェクトリーダーが壁に突き当たった時は、研究開発トップ自ら第一線に出て先頭に立ち突破口を切り開け
3-6.プロジェクトリーダーに手柄を立てさせろ
3-7.若い人に失敗させることを恐れてはならない、地位が上がってからの失敗は恐

3-8.成長しそうな人材には金を使わせろ、金を使わないで育った人材はいない

4.プロジェクトリーダーの役割

4-1.プロジェクトリーダーはプロジェクトを管理する人ではない、プロジェクトの目的を何が何でも達成する人である、
4-2.プロジェクトメンバーの意見を聞きいれ、自分の考え方も伝えよ、決して一方的に指示するな
4-3.プロジェクトリーダーは部下からの意見を尊重し、学べ、その姿勢があれば部下が提案してくれ、リーダーを助けてくれる、メンバーのチャレンジ精神も高揚する
4-4. プロジェクトリーダーはメンバーの失敗責任を取れ、それが自分の財産となる、逆に自分が失敗した時は部下に伏して詫びろ
4-5.プロジェクトの活気が落ちた時はプロジェクトリーダーが奇跡を起こせ、その人に部下はついてくる
4-6.プロジェクトプロジェクトリーダー自らも外に出て学び続け、グループメンバーにも外へ出る機会を与え、人に質問する訓練をさせろ

5.担当者の心構え

5-1.「俺はプロだ」という自覚とプライドのない者はプロにはなれない、プロの研究開発者は責任感、判断力、説得力を持たねばならない
5-2.プロの研究者は与えられた仕事をこなすだけで満足するな、自分で目標を持ってチャレンジせよ
5-3.プロの研究開発者を目指すなら「研究内省日記」を書き、成功、失敗の原因を分析し、内省し、自己の進歩に役立てろ
5-4.経験と体験は異なる、原因分析された体験は「価値ある体験」である、「価値ある体験」を積めば成長していくが、単に経験を積めば積むほど老いていく
5-5.自分の体験だけでは足りない、他人、他グループの思考法、動向も自分の体験として取り込め
5-6.明日の作戦は前夜までに考えろ、勝負は朝、会社に出社した時に決まってしまっている
5-7.寝ていて「よいアイディア」が浮かんだら、早く実験してみたくて夜明けが待ち遠しかった体験があるか
5-8.仲間同士で勉強会を持て、他グループの人とも交流して自主的に勉強しろ
5-9.外に出て一流の人に会って勉強しろ    
5-10.もう一人の自分を持とう

6.終わりに

 

 

1.まえがき

 

筆者はさきに「研究の話」という小冊子を出版し、研究者の心構え、効率的な研究方法についての私見を纏め、研究開発にたずさわる方々に一定の評価をいただきました。

しかし、「研究の話」は個人のレベルアップに焦点を当てたものであって、「研究開発チームの活力、人材の育成」という観点での記述を欠くものでありました。

そこで、「研究の話」を補完する意味で、本著では強いチームであり、人材の育つチームであるための各ポジションの役割を、私なりの体験、私が直接に接した優れた方々の言動、コメントをベースに纏め皆さまの参考に供することを試みました。また、実感をもって訴えるために一般の成書からの引用を極力避けて本著を纏めました。

研究開発という行動は、例えばサッカーなどのように一種のチームプレーであり、個人の能力とチームとしての活力、作戦力、モチベーションとが相俟ってはじめて充分な力を発揮するものである。
スポーツのチームがオーナー、監督、コーチ、選手、サポーターから成り立っているように、企業における研究開発も、企業ごとに多少の組織構造、呼称は異なるにしても、経営者(社長、研究開発管掌役員)、研究開発本部長または研究所長(以下、研究開発トップという)、グループリーダー(またはプロジェクトリーダー)、研究開発担当員から構成されていると言ってもよかろうと思う。

本著の主題は「研究開発チームの活力と人材育成」であるが、これは単に研究開発部門だけで達成出来るものではなく、上記のようにオーナーである社長以下一研究員に至るまでの一体的な共同作業でなければ達成出来難い。したがって本著では会社のトップ以下研究担当者までの役割についても言及した。

 

2.経営者(社長、研究開発管掌役員)の役割

 

2-1.会社には必ず欠陥がある、欠陥がなければ経営者は不要である

YKKという会社は皆さまもご存じのグローバル企業である。この会社は富山県魚津市を発祥の地とし、貧弱な町工場からスタートしている。私も同じ市に主力工場を持つ一部上場会社である日本カーバイド工業(株)に1957年に入社した。

ところが、YKKはすごいスピードで成長しはじめ、何年か後(おそらく10年後)には日本カーバイドを凌いでしまった。この様子を観察していた私は不思議に思い、YKK創業者、吉田忠雄氏の実兄である副社長にその秘密を尋ねたことがある。副社長の話は「紙尾さん、会社には長所もあるが必ず欠陥もある。もし欠陥のない会社であれば経営者は何をするのですか?」という言葉で始まり、欠陥だらけの町工場に不足するものを経営者が的確に把握して、それを埋めながら進めたYKK成長の構図を教えていただいた。この経営哲学は今も私の脳裏に鮮明である。「会社には必ず欠陥あるいは不足要素があるから、それを補うのが経営者の仕事である。」

2-2.経営者は会社(または研究開発部)の欠陥を分析し、それを明快かつ簡潔に社員に示さなければならない(明快、簡潔でなければ、共感が得られない)

これを研究開発部門に限定しても同じことが言えるであろう。実際に私が講演を依頼された或る会社の研究開発本部長は「研究者に研究の根っこについて話してほしい」とおっしゃったし、他の会社の社長は「今の技術(工場実見学して実に立派な技術があることを確認しました)は自分が研究開発に直接携わっていた頃に完成したが、その後6年間、革新的技術が全く出ていない」という欠陥を指摘された。

日本カーバイドの設計部門が独立してできたダイヤモンドエンジニアリング(DEC)というエンジニアリング会社がある。私はその会社が創立30周年のころ、社長を1年だけ務めたことがあるが、その時のDECは全く保守的で先輩が築いた技術を食い潰して何とか経営が続けられていることが直ぐに読み取れた。しかし、社員には親会社の取締役兼務の社長に欠点を知られたくないという壁があり、何とかその壁を取り除くために従業員に溶け込むことが第一段階と考え、それに対する行動を進めている間に親会社からの指示でDECを離れてしまった。

それから数年を経て、私が将来を嘱望していた人材の一人である前田勝彦氏が専任の社長に就任され、毎年頂く年賀状に書いてある短いコメントからDECの様子を伺い案じていた。たまたま、ちょうど創立40周年を経た今年の年賀状から相当に改革が進んでいる様子が伺われたので、「研究の話」の復版本と書簡を送って状況をお聞きした。その返事として、短い文章であるが実に内容豊富なDEC改革ストーリーをメールで送って頂いた。前田社長の許しを得て、以下に引用させて頂く。

 

紙尾 様

ご丁寧な手紙と書籍をいただき、ありがとうございました。
「研究の話」は以前にも頂き、その後の仕事を進める指針にさせていただきました。

DEC社も専任で担当して社内活性化運動を始めたころは、皆さんなんとなく 仕事を続けている状態で、新しいことへの取り組みには大きな抵抗がありました。
特に新規事業において成功体験がなく、失敗して金ばかり使ってしまったという ことがトラウマとなって、下水の汚泥減容菌を見つけてきたときも道楽でやって、 また失敗するに違いないと思っていたようです。

何が得意かと聞くと、何でも出来ます。という答えで、顧客から何か引き合いが くるのを待っている状態でした。
当然基本設計は顧客がしてきますので、単にアッセンブルして建設するだけの仕事 になってしまい、相見積もり相手がいて、価格と納期だけの勝負になって、利益 が出るわけはありません。

そこで社外から活性化活動をする講師を呼んで、2年間活動をしました。
ISOも内容の転換期でしたので、組み合わせて「テーマを自分で作る」、 「毎日話し合いをする」、「諦めずに続ける」を合言葉に、派遣を受けた講師と 一緒に活動するうちに、景気が上がり始め、顧客が設計する仕事は捨てるようにして 基本設計から出来る仕事に転換していきました。
「独自商品」、「独自技術」、「リピート商品」、を目指し、 基本に忠実なエンジ活動として、「基本契約を正しく結ぶ」、「契約外の追加は すぐに書面で承認を受ける」などを進めて、粗利改善を徹底する活動に取り組み ました。

この結果として、社内が活性化し、追加で利益を上げることに快感を覚えるよう になっていき、会社利益が上昇して、45億円あった未成工事支出金を10億円まで減らし、借入金も30億から10億円に減らすことができました。

業績がよくなると、研究開発費も年間1~1.5億円使うことが可能になり、 汚泥減容、バイオマス発電、脱リン炉、攪拌式インジェクション脱硫など最新 の技術習得が可能になりました。
失敗は大いにしていいから、チャレンジ精神を失うなと激励し、小さくても 成功したら表彰する制度を取り入れ、失敗は隠さずみんなの財産にしようと活動 したことが成功している原因と考えています。
もちろん、第一は運がいいことで、運のいい顧客や仲間を選ぼうとも発言して います。
今年の最大の目標は、・・・・・・・・・

前田勝彦

 

上記のように前田社長は、会社の欠陥を「新しいことへの取り組みには大きな抵抗がありました。 特に新規事業において成功体験がなく、失敗して金ばかり使ってしまったという ことがトラウマとなって」と当時の会社の欠陥を端的に分析しておられる。

さらにもう一つ例を挙げると、日華化学(株)松田光夫 研究開発本部長は、月刊 研究開発リーダ[技術情報協会発行、Vol.6、No.9 (2009)]の「日華化学の研究開発の変革」と題した著作の中で、「日華化学の総合研究所の大講義室には覇気という二文字が書かれた大きな額が今も掲げられている。かって江守幹男会長から[研究所に覇気がない]という檄が飛んだことがあった。(中略)言われた仕事や年度計画で決めた案件をとにかくこなせばよい。という風潮があったかもしれない」と書かれている。

以上のように、会社経営にしろ、研究開発にしろ改革、活性化の第一歩はその部門が抱えている欠陥を単に列挙するのではなく、分析把握して単純化して明快に社員に示すことである。これが活性化の第一歩と考える。
欠陥が単に列挙されていたり、ながながと述べられ、単純明快に示されていなければ、そのメッセージは社員の心に強く浸透することはない。

 

2-3. 経営者は経営理念、改革理念を明確に示さなければならない

前田社長は次の経営理念を挙げて改革理念を明確に示している。

  1. 人類を敬愛し、ロマンを愛して世界を歩き、時代の風を肌で知る
  2. 失敗を恐れず挑戦して新産業革命の波を取り込む
  3. 夢と創造を継続して人類に貢献するシステムを提供する
  4. 調和社会に向けた環境事業を大切にする
  5. 仲間と共に喜びを分かち合う

また、先に引用した「日華化学の研究開発の変革」には、前述の文章に続けて「そのような中、江守康昌社長が研究開発本部長を兼任して、研究開発の大改革を行うと宣言したのは一昨年(2007年)11月のことだった。(中略)[私の理想の研究所は、お客様がひっきりなしに訪れ、活発な議論の上に、新しいアイディアがどんどん出てそれを形にしていく、夢を実現できる場所でありたいと思っています・・・・]
移動辞令の発表と同時に、社長兼本部長から研究開発に対する思い・ビジョンそして組織変革の方針が全員へのメッセージとして発信された。」と記載されている。

2-4.欠陥の明確化、改革理念の明確化、トップの情熱があれば社員の改革意欲が生まれ、全員で取り組む改革手段も生まれる

上記のように欠陥の明確化、改革理念の明確化、そしてトップの情熱があれば社員の改革意欲が生まれるのは当然であり、トップから提案された改革手段、あるいは社員の意見も加味されて作製された改革手段も全員で取り組む大勢が出来ることになる。

その辺の事情は、先にも述べたように、前記の前田社長のメールの中に
そこで社外から活性化活動をする講師を呼んで、2年間活動をしました。 ISOも内容の転換期でしたので、組み合わせて「テーマを自分で作る」、 「毎日話し合いをする」、「諦めずに続ける」を合言葉に、派遣を受けた講師と 一緒に活動するうちに、景気が上がり始め、顧客設計の仕事は捨てるようにして 「独自商品」、「独自技術」、「リピート商品」、を目指し、 基本に忠実なエンジ活動として、「基本契約を正しく結ぶ」、「契約外の追加は すぐに書面で承認を受ける」などを進めて、粗利改善を徹底する活動に取り組み ました。」と記載されている。

また前述の松田光夫本部長の著書には
12月には、約100名の研究部員全員を9つのグループに分けて、3日をかけた本部長(社長兼務)ヒアリングを実施した。上司に遠慮して意見が述べにくいということがないよう、一般社員・グループリーダー・部長クラスを別のグループに分けた。先入観を捨て、現場の声に耳を傾けて最適の解を見出そうとするのが目的だった。そこからは230件を超す生の意見が抽出された。(中略)社長の目指すビジョンを踏まえて、明らかになった課題を解決するために、従来のカンパニー毎に対応した研究組織は、次のような方針によって改変された。

  1. カンパニーや本部間の壁の撤去
  2. より高いレベルを目指して機能に焦点を合わせた研究グループに再編
  3. より高い顧客満足度とグローバル化の推進のために技術開発部門を導入
  4. 研究テーマの企画推進部門を導入
  5. 若い研究員をグループのリーダーに登用
  6. ベテラン・中堅の研究員をグローバルな視点で市場を捉える役割に任命

(中略)研究開発の改革を宣言してから、ほぼ2年が経過した。江守社長は研究本部長の兼務を解いたが、社内で行われる研究発表会や4半期報告会などの重要な行事には必ずフルに参加し、率先して質疑に加わる。と記述されている。
以上のように会社の事情によってそれぞれの手段があるとしても、「欠陥の明確化、改革理念の明確化、トップの情熱」があれば、社員の改革意欲が生まれ、全員で取り組む改革手段も容易に見いだせる点で共通したものがあると思う。

2-5.改革の成功例が生まれれば、全社的に喜びを分かち合え、会社が活性化され人材が育ち、さらに活性化が進む
改革の成功例が生まれれば、全社的に喜びを分かち合え、会社が活性化され人材が育ち、 さらに活性化がすすむという事情は、前掲の前田社長のメールに次のように生き生きと 示されているので引用する。


この結果として、社内が活性化し、追加で利益を上げることに快感を覚えるよう になっていき、会社利益が上昇して、45億円あった未成工事支出金 を10億円まで減らし、借入金も30億から10億円に減らすことができ ました。
業績がよくなると、研究開発費も年間1~1.5億円使うことが可能になり、 汚泥減容、バイオマス発電、脱リン炉、攪拌式インジェクション脱硫など最新 の技術習得が可能になりました。
失敗は大いにしていいから、チャレンジ精神を失うなと激励し、小さくても 成功したら表彰する制度を取り入れ、失敗は隠さずみんなの財産にしようと活動 したことが成功している原因と考えています。
もちろん、第一は運がいいことで、運のいい顧客や仲間を選ぼうとも発言しています。」

ここで私が感心することは、1.失敗は大いにしていいから、2.チャレンジ精神を失 うな、3.小さくても成功したら表彰する、4.失敗は隠さずみんなの財産にしよう、 という明確な社長方針である。このようにすれば、社員の横の心の繋がりも良くなり、 職場の風どうしもよくなり、全社的に成功例、失敗例が共有され、全社的活性化が実現 して人材も育つのは当然だろうとうなずける。「失敗は大いにしていいから」とは失敗 の責任を社長自身が取る心構えがなければ言える言葉ではない。
このような環境であれば人材はおのずと育成されていくであろう。

私の体験として後述(3-1.)の「北陸セラミック」の場合も、累積赤字を一掃して からはかは社員全体の活性化が一挙に進み、一時はこの小さな会社がチップ抵抗基盤 の世界シェアーの70%も取ることが出来、電子製品製造には不可欠の会社となり、日 本カーバイド本体においても「北陸セラミックに習え」という言葉さえ生まれたことを 思えば「成功はチーム活性化の特効薬」には違いないと思うのである。

 

2-6.経営者は研究開発チームの最大のサポーターでなければならない

経営者は会社の経営について全責任を持っている訳だから、当面の会社業績に最も関心を払うのはよく理解できる。然し現在のような変化が激しく、競争がグローバル化して激烈になっている状態では、今日の成功は明日の成功を保証するものではない。してみると、現在どれだけの技術があるということよりも現在どれだけの革新的技術を生み続ける力があるかが問われる時代であるとも言える。
実際にある会社の社長から講演依頼を受けた時「講演の焦点の置きどころは?」と聞いたところ「うちには現在は世界トップの技術があるが、それはみんな私(現社長)が研究開発本部長時代に開発したもので、社長になって以後、6年間は全く革新的技術がでていない」という答えであった。工場見学もさせてもらったが実に立派な会社であった。

そして、社長の先見力に感心し、研究所において出来るだけその意に沿うような講演をさせていただいた。この講演の中で私は「尊敬する人を持ち、応援者(サポーター)を持つ技術者は育つ。サポーター持つ技術者は怠けるわけにいかない、挫けるわけにいかないし、尊敬する人を持つ技術者は謙虚に努力するからである。」という話をした。そして聴衆の一人の技術者を指さして「あなたの尊敬する人、サポーターはだれですか」と聞いたところ「それは社長です」という答えが即座に返ってきたのには感心させられた。初めて往訪した会社であったが、社長と社員の一体感がしのばれた。私はこの会社の将来を信じてやまない。

次に私が「北陸セラミック」という会社にかかわった時の話をしてみたい。当時、私は日本カーバイドの魚津工場内にある魚津研究所長をしていたが、以前に同じ研究所にいてその時は営業にでていた人が私を尋ねてきて「魚津に小さな電子用セラミックの会社がある。技術面で困っているようだけど、少し相談に乗ってやってもらえないか」と言う、「魚津市のためになるのなら結構ですよ」と返事して、北陸セラミックの専務と会うことになった。専務さんの話では、「兎に角、焼きあがったときの寸法が揃わず歩留まりが上がらないので困っている」とのことであった。

しかし、私にはセラミック焼成の知識が全くないことを伝えたが、まあ一度工場を見て欲しいとのことで工場見学に伺うことになった。

はじめて知ったのであるが、薄物の電子用セラミックというものは、先ずアルミナなどのセラミック材料にバインダーを加えて「生八つ橋」のような薄い、柔軟なシート(グリーンシート)を作ってそれを金型で打ち抜き、焼成して作ることが分かった。私には焼成のことは分からなかったがフィルムやシートは専門だったのでグリーンシートを持ち帰って、グリーンシートに歪がないか検討することにした。結果的にはグリーンシートに著しい歪が認められたので、それが歩留を低下させている原因と考え、歪のないグリーンシートを製造するための装置を提案させてもらった。

しかし、その装置の見積を取ってみると約2億円であって当時の北陸セラミックの負担出来るような額ではなかった。相談の結果、日本カーバイドから出資してもらえないかという話になり、私も「セラミックの焼成では劣るかも知れないが、最も基礎となる歪のないグリーンシートの製造に関しては日本カーバイドの最も得意とするところであり、例え相手が京セラであっても負けることはない」との判断があったので、上司の取締役工場長にセラミック基板一枚を見せて、日本カーバイドからの出資を相談した。殆ど即座に工場長は同意して、本社に日本カーバイドからの出資稟議を提出することになった。本社でもその稟議が決済され、早速グリーンシート製造装置を北陸セラミックに発注させた。

ところが、製造装置の製作が進みだした頃、突然、日本カーバイド本社から「稟議決済を取り消す、北陸セラミックの投資計画を中止するように」という前代未聞の連絡があった。どうやら、本社が主力銀行である三菱銀行に説明したところ、「日本カーバイドが電子用セラミックに手を出すなどというのは無謀である」と一蹴されたことにあったようである。
困ったのは工場長を筆頭とする私達関係者である。今更、北陸セラミックへの出資を打ち切れば北陸セラミックの倒産は目に見えており、折角、魚津市の先端企業を援助しようとした計画がその企業を倒産に追い込むことになる。

私は日本カーバイドの社長にも三菱銀行担当者にも何度も下記(3-1)に書いたような北陸セラミックの将来性を説明して事業計画の継続をお願いしたが、継続が認められることはなかった。その間に、発注した製造装置の製作がどんどん進み、その支払い期日も次第に迫ってきた。その間の工場長の苦悩は大変なものであることが以心伝心で伝わってきたが、私には一言も「困った」と言ったり、後悔の気配を見せられることも無かった。私は心中、「工場長に申し訳ないことをした。あの時、一枚のセラミック基板を見せなければ工場長もこんなに苦しまれなかったのに」と思い、むしろ私の方が後悔したほどである。

ところがある日、突然、工場長が「紙尾、大丈夫だよ」とおっしゃる。訳を聞いてみると、工場長が市長を説得して、市内の優良中小企業数社のバックアップで、地方銀行が北陸セラミックに2億円の融資をしてくれることになったのだそうである。以後の顛末は下記3-1.に書いたとうりであるが、若し工場長の必死の応援がなかったら、私は「北陸セラミックを倒産させた男」と言われ、地域社会に住み続ける事すら難しかったであろう。

 

3.研究開発トップの役割

 

3-1.研究開発トップは会社の方針を理解し、研究テーマの選択とプロジェクトリーダーの選定に心血を注がなければならない

私は研究所長時代、研究テーマの選択と、そのプロジェクトクトのリーダーの選定に 心血を注いだ。
「与えたテーマがよくて、リーダーの選定がよければ結果が悪いわけがない」という の私の信念である。
逆に言うと、与えた研究テーマが悪かったら、所長を信じてそのテーマに取り組んでく れた研究員の貴重な人生を無駄にすることになる。申し訳ないことである。したがって、 研究所長は会社の方針の意味と方向性を理解し、研究テーマの選択に自分の研究開発者 としての命を懸けねばならない。

研究テーマの選択については私が自分で書いた「研究の話」および「新製品開発の話」
に書いたことを基準にしている。もっと具体的にいうと、その基準は(A)トップメー
カーを目指すテーマ、(B)高付加価値製品を生むテーマ、(C)社会ニーズと技術のト
レンドを捉えたテーマ、(D)自社の技術を生かすテーマである。ご興味のある方は上
記の冊子をお読みいただきたい。
次に研究開発トップが為さねばならないことは、そのテーマを遂行してくれるプロジ
ェクトリーダーの選定である。
私がプロジェクトリーダーの選定に際して基準としてきたことを列挙すると、

  1. 基礎力のある人
  2. 原因解析した体験(以下、「価値ある体験」という)を持つ人
  3. プロジェクトを管理するのではなく、「何が何でも成し遂げるという真摯さ」を持つ人(松田光夫、月刊 研究開発リーダー Vol.No.3 参照)

であると思っている。 ここで、基準1)「基礎力のある人」と書いたのはもちろん「基礎学力」、「基礎技術力」も意味するが、必ずしもそれに限定するものでは限らない。

私の出会った人で、非常に営業力のある染料会社のT氏という人がいる。当時その染料会社は特殊フィルム分野の事業を展開し、苦戦していたが社長はその特殊フィルム部門の事業本部長としてT氏を起用した。T氏は単に営業だけではなく、研究、製造部門も指揮して、見事な改革を実施された。事務屋であるT氏がどのように研究、製造部門の改革されたのか不思議に思い、その点をお聞きしことがある。T氏の答えは「とにかく全員に意見を言わせ、その中で最適なものを実施しただけですよ」ということであった。なるほどと感心するとともに、T氏の「基礎力」を感じ取ることができた。

私自身の体験を例として挙げると、私が日本カーバイド魚津研究所の所長時代、兼務で 小さなセラミック製造会社、「北陸セラミック」の役員として、月に100万円売り上 げれば100万円の赤字が出るというひどい会社の建て直し責任者となったことがあ る。

赤字の原因を解析してみると商品の種類毎に製品歩留も異なり、売価も異なることが分 かった。赤字を解消し利益を出すには損益分岐点歩留の低いものに重点を置いて商品構 成を移すことが必要と考えて解析したところ、チップ抵抗基盤の損益分岐点歩留が約3 0%とダントツに低いことが分かったが皮肉にもその現状歩留も約15%とこれもダ ントツに低い状態であった。

しかし、よく考えてみると損益分岐点歩留が約30%ということは非常に魅力的商品で あることは明瞭であり、その歩留まりを超えたところは「宝の山」であるに違いない。 歩留の最終目標を当時のセラミックパッケージの歩留を参考に80%に設定した。もち ろん、先ずは損益分岐点の30%に到達させることが緊急の課題であった。

実際に現場の状況を解析すると、これらの目標を達成するには私一人の力では無理であ ることも明瞭であり、私は「基礎力」「価値ある体験」「真摯さ」を兼備した人2名を名 指でキーマンとして派遣することを工場長を通じて日本カーバイドのトップに要請し た。

幸いにもその希望は叶えられそれ、以降はその二人の血の出るような努力と、工場全体 を統括するキーマン舟川隆義氏(後に日本カーバイド取締役)を中心とする現場の努力 によって比較的早く40%を超える歩留に到達することが出来た。キーマンの他の一人 (技術担当)は前述のダイヤモンドエンジニアリング社長前田勝彦氏である。

その時、すごいICブームが起こり客先の購買課長自身が注文品を取りにお出でになる という異常な神風が吹いた。もちろん、大変な利益を得て累積赤字を一掃できたが、若 しその時点で損益分岐点以下の歩留であったら、逆に大変な赤字を積み増す結果になっ ていただろうと思うと、ゾットする思いであった。ICブームを神風にしてくれた二人 の功績絶大というべきで、キーマンの重要性を身に沁みて実感した次第である。

先に、キーマンの基準2)「価値ある体験」(場合によっては失敗体験でもよい)を持つ人と書いたが、体験とは単なる経験のことではない。辞書によると、経験とは「実際に知覚して得た知識、技能」と書いてある。また体験とは「心に生き生きと刻み込まれた強い経験」と書いてある。「価値ある体験」を持つ人とは、成功体験(場合によっては失敗体験)を更にその成功または失敗した原因まで分析して、いつまでも生き生きと心に刻み込んでその原因を体験として蓄積して持っている人であると私は思っている。また、その人が失敗体験と成功体験と両方を持ち合わせていることは最も好ましいと考える。

成功体験については言うまでもないが、失敗体験も重要である。元プロ野球監督の野村克也氏は「野球は負けた時に余計に反省する」と言っている。成功体験の重要性は勿論であるが失敗体験もまた重要なのである。

日華化学研究開発本部長松田光夫氏とのディスカッションの中で次のようなコメントがあった。「不透明化剤の開発を担当した主任研究員は、最初の10tスケールの試作で失敗しかけた時は死んでお詫びをしようかと思い詰めたそうです(大げさですが)。その後、日華USAに副社長として出向になり現在社長として活躍しています。」

まさに、この人の失敗体験は立派な「価値ある体験」というべきでしょう。
以上、プロジェクトリーダーの選定基準1)、2)について説明したが、この1)、2)の条件を満たす人は不思議なことに基準3)プロジェクトを管理するのではなく、「何が何でも成し遂げるという真摯さ」を持つという条件も満たしていることが多いのである。しかし、若いプロジェクトリーダーを選定する場合に基準1)、2)の条件にはやや欠けるが、基準3)の条件を非常に豊かに備えていることを買って選ぶ場合もある。したがって基準3)の条件は確かにプロジェクトリーダーとして必須のものである。

もう一つ付け加えたいことは、人材の育成も兼ねてリーダーとして適正のある人は出来るだけ若いうちに研究グループやプロジェクトのリーダーに登用することが重要である。私が研究所長時代、それまでは、リーダーは係長以上という不文律になっていたが、有望新人が入社してきたのでその中から選んで係長に昇進する前に数名を研究グループのリーダーに登用した。これは研究所始まって以来の人事であったが、結果的にそのなかの数名は目覚ましい成長を遂げてくれ立派な人材になった。しかもそのグループも立派な成果を挙げてくれた。

 

3-2.プロジェクトリーダーに全てを任せろ、任せることは放任ではない、誤った方向に進み始めた時にアドバイスを与え、修正しなければならない

研究開発トップは、一旦その人がプロジェクトリーダーとして適任と判断して選んだ以上は、全てをその人に任せる心構えを持っていなければならない。若しその心構えがないのなら、その人を選ばないか、そのプロジェクトを作るべきではない。一旦プロジェクトリーダーを選任してから研究開発トップがそのプロジェクトにあまり口出しすることはプロジェクトリーダーの自信を失わせ、プロジェクトの活力を削ぐ結果にもなるので厳に戒めるべきことである。

ただしプロジェクトリーダーに任すということは決して放任することではない。一般に研究開発トップはプロジェクトリーダーより条件1)、2)において優れていることが前提条件であるが、プロジェクトの問題点の細部については現場で戦っているプロジェクトリーダーの方がよりよく熟知しているし、その方が望ましいのである。しかし、プロジェクト全体の動きをじっと見守り続け、万一、誤った方向に進もうとしている事を発見した時、判断に迷っている時には必ず必要なアドバイスを与えてプロジェクトを成功の方向に誘導しなければならない。私はこのようなアドバイスを「価値あるアドバイス」と呼んでいる。

逆にいえば、それが出来ないと研究開発トップとしての役割が果たせていないことになる。
私の一つの実体験を話してみよう。私が研究所副所長時代であるが、それ以前に私が試作までしたが開発に失敗して作り残して在庫になっていた無可塑剤軟質塩化ビニール樹脂(グラフトマー)の用途開発を諦めずに続けてくれていた部下S氏がいた。その人は稀にみる開発意欲を持っていて、まさに基準3)「何が何でも成し遂げるという真摯さ」を抜群の強さで持つ人であった。彼は遂にそのグラフトマーが屋外用マーキングフィルムに極めて優れた適正を持っていることを見出してくれた。試作したフィルムサンプルが少しずつ有償で市場に出始めたところで在庫していたグラフトマーが無くなりそうになった。S氏が私のところに「グラフトマー試作工場を再開して欲しい」と言ってきた。

私は、自分が開発したグラフトマーが世に出ることを非常に嬉しく思ったが、研究副所長としてはS氏が開発しつつあるマーキングフィルムのプロジェクトを何としても成功させなければならない義務があるので、世界で唯一のコンペティティターである3M社の「スコッチカルはどんな原料を使っているのか」と質問した。彼の答えは、「普通の塩化ビニール樹脂に特殊な可塑剤を加えているようです」ということであった。私は即座に「グラフトマーを捨ててブレンド法に変えなさい」と指示した。私にはグラフトマーとブレンド法の優劣は明白であった。S氏にとっては、折角グラフトマーを使って開発した配合処方を白紙にしてブレンド法の新しい配合処方を開発し直すことは本当につらかったと思うがこの判断が正しかったことは、開発が進むにつれて次第にはっきりしてきた。

また或る時、S氏と一緒に客先を訪問した際に、「早く3M社並みの幅のフィルムを供給して欲しい、そうしないと3M社とは戦えない」と客先の課長から言われ、その理由を説明されて良くその意味が理解できた。その半面、その客先から提示された購入価格は到底納得できるものではなかった。その理由は、その売価では我々の推進しているマーキングフィルムの判断基準である、(B)高付加価値製品を生むテーマという基準が満たされないからである。しかし開発プロジェクトリーダーとしてのS氏にしてみれば、当然、「早く商品の売上げ高を上げたい」との思いがあるから客先の希望する価格で販売したいという思いが強かったに違いない。

彼と私は激しく議論したが折り合いがつかないまま、彼が海外出張することになった。その間に私はその客先に、客先の希望価格の2倍近い価格(それでも3M社よりは安い)で正式の見積書を提出した。海外出張から帰ってそれを知った彼は烈火のように怒り、「これで、この事業は駄目になった」と言って私に詰め寄り、私の足を軽く蹴り飛ばした。しかし私は彼の心情がよく理解できたので、怒る気持ちになるよりむしろ彼の情熱を嬉しく思い胸が熱くなった。

結果として、当然そのお客様からは購入を断られた。しかし、私の提示した価格で根気よく開発を進めてくれた彼は、遂にその値段で買ってくれるお客様を見つけてくれたのである。その様な経過をたどって本格生産設備新設の機会がやってきた。当然、フィルム幅は3M社を上回る装置を発注することにした。

当社のフィルム製造法はS氏の考案になる合理的なものであったが、それに使う装置は相当に難しい注文であったらしく、一旦受注した会社が「設計上、安全のために少しフィルム幅を狭い装置でやらせて欲しい」と申し出てきた。

S氏は「まあそれでもよかろう」と言ってきたが、私は「失敗してもいいから、3M社に勝てる幅の設備でやれ、もし安全を取って幅の狭いもので成功しても、きっと次に君はもう一つ3M社並みの幅広の設備を作りたいと言ってくるに違いない。2重の設備投資を背負ったのでは3M社に勝つ見込みはない。必ずこの事業は設備費負担が大きいことで失敗に終わるに違いない。失敗するなら、幅広の設備1回で失敗してくれ。私は幅広の設備でなければ本社に稟議書を提出しない」と説得して、幅広の設備の設置稟議を提出することになった。

稟議書に添付する利益計画書を計算してみると、稼働率40%が損益分岐点になっていた。改めて高い売価を設定して耐えてきたことの正しさを痛感した。稟議審査会では、一応の説明が終わったところで、社長の「損益分岐点が40%ならいいんじゃないか」という一言で審査会は終わってしまった。

このプロジェクトは成功して、更にいろんな屋外用粘着フィルムにも発展する基礎を作ってくれ会社の活性化にも寄与したと信じている。このプロジェクトは一にも二にもS氏の猛烈な開発精神によって成功したものである。私は売価と、フィルム幅の決定だけをアドバイスしたのみである。研究開発トップは「価値あるアドバイス」以外の口出しをしないほうがいい。

 

3-3.研究開発トップは外にでろ、外に出なければ3次元的情報が得られない、また自分のチームの欠点も見えない

前節(3-2.)で述べたように、屋外用マーキングフィルムの開発段階で私が「価値あるアドバイス」を与えるという役割を果たすことが出来たのは、プロジェクトリーダ ーと一緒に最初の客先の担当者を訪問した時の知識に基づいている、その時に、競合品 である3M社の商品価格やフィルム事業においてはフィルム幅が重要な意味を持って いることを学んだからである。このような3次元的な情報がなかったら、「価値あるア ドバイス」を与えることが出来なかったであろう。このように、研究開発トップは社内 でプロジェクトの動向を見守ってばかりいてはプロジェクトに「価値あるアドバイス」 を与えるための3次元的な実用的知識を得ることができない。

研究開発トップは自分の傘下にあるプロジェクトチームのアンテナ役でもある。プロジ ェクトの進捗状態がユーザーのニーズの進捗状況とタイミングが合っているか?プロ ジェクトの目的方向が社会ニーズの将来方向と合致しているか?に常に気を配る必要 がある。このようなアンテナ役を間違いなく果たすには、やはり外に出てユーザーや社 会政策をリードするキーマンと会って社会ニーズの方向性、進捗性を肌で読み取らなけ ればならない。若し、プロジェクトの方向が社会ニーズの将来方向と合致していなけれ ば修正が必要なことは当然であるが、プロジェクトの進捗状況が遅い場合はプロジェク トの進捗スピードをアップするする必要がある。

このようなことは殆どの研究開発トップがよく理解しているのが一般であるが、意外と 気付かないのは、「プロジェクトクトの進捗状況に対してユーザーの受け入れ態勢が遅 れている場合」である。このような場合の対処法としては、プロジェクトの研究スピー ドを落とさないで、中間試験を完成させても生産設備の設置を遅らせてプロジェクトと ユーザーの呼吸を合わせることである。

研究費に対して中間試験や生産設備の投資費は 膨大になるので、一旦、中間試験に取りかかると経営者もプロジェクトリーダーも「早 く売上をあげろ」という念に駆られて「安売りをして研究開発基準の最重要項目であ る高付加価値を」忘れてしまう。

例えていうと、プロジェクトリーダーは大馬力の自動 車のアクセルを踏みっぱなしで走る人であるべきで、研究開発トップは時によっては勇 気を持ってブレーキを踏み、ハンドルを大きく切る運転者であらねばならない。これが 研究開発トップの最重要任務である。プロジェクトリーダーにブレーキを踏ませると、 プロジェクトの活力が低下し、研究開発が遅れて他社に後れをとるから、プロジェクト リーダーにはブレーキを踏ませないのが一般論である。

以上のような、研究開発トップの最重要任務を果たすためにはどうしてもユーザー、社 会ニーズの動向を肌で感じるために、研究開発トップは外にでなければならない。
前述のダイヤモンドエンジニアリング株式会社社長の経営理念の第一に人類を敬愛し、 ロマンを愛して世界を歩き、時代の風を肌で知る」と書かれている。この会社は海外と の取引が多いせいもあるが、前田社長は積極的に世界を歩き時代の風を肌で感じてお でであると推察している。

自社の進歩と世界の変化は相対的なものであり、自社が進歩していると思っても世界の 変化がそれ以上のものであればその進歩は退歩でしかない。新聞、雑誌、インターネッ トなどの情報は平面的であり、過去的である。実際に外に出ていろんな要人に会って話 あい、見聞して得た情報、感触は3次元的であり、未来的である。このような情報が研 究開発トップの判断に役立つのである。

世界を歩きまわらなければ世界の情勢は肌で感じ難く、したがって自社の長所、欠点も発見し難い。会社のトップや研究開発トップは一般に忙しいのは理解できるが、それを理由に世界を歩き回らないのは危険である。トップ自らが外へ出て、グローバル化を肌で感じてはじめて自社の本当の長所、欠陥が分かるのだと思う。

話のスケールが違うが、昔、私が魚津工場の研究所長時代、急に工場長から外出する呼び出しがあった時に「今ちょっと手放せない仕事があって」と言うと、「仕事の要領が悪い」と叱られたことを思い出す。忙しいということは、外へ出ないことの理由にはならない。
研究開発トップは外に出ろ、文献情報は平面的で過去的であり、優れた他人からの直接 情報は3次元的、未来的、先見的である。

 

3-4.研究開発トップは外部からの圧力に対し、プロジェクトリーダーを守れ

会社全員が常に研究開発の真髄を知っているとは限らない。その時、研究開発トップは 社内の間違った外圧からプロジェクトリーダーを、身を挺して守り、また指導してやら なければ悲劇が生まれ、研究開発チームの活力も低下する。

私が日本カーバイドの取締相談役時代、日本カーバイドはレザープリンター用のケミカ ルトナーの開発を進めていた。重要な特許も取得していたのであるが、私の考えでは、 このトナーは単価の安い白黒印刷を捨てて売価の高い(付加価値の高い)カラートナー から参入すべきものと考えていた。念のために、元千葉大学教授でノンインパクト印刷 の権威である某先生を尋ねてその意見をお伺いした。先生は「それはカラーに決まって いる」とおっしゃったので、その意見を社長にも具申した。

しかしその意見は研究開発トップには届かず(あるいは、届いたかもしれないが)社内 の「早く売上げを上げろ」という意見に押されて、付加価値が高いが当時の普及率の 低いカラートナーではなく、需要量は多いが付加価値の低い白黒印刷用のトナー用とし て販売し、売上げを上げようと急いだ。結果的には何時までたっても損益分岐点に到 達できず、売上げとともに赤字を積み上げてギブアップしてしまった。

日本カーバイドから特許と製造設備を買った会社はカラートナーで利益を謳歌してい る。相談役という立場にあったとはいえ、「早く売上げを上げろ」という外圧からプ ロジェクトを守れなかった自分の責任は重大だと思って反省している。

3-5. プロジェクトリーダーが壁に突き当たった時は、研究開発トップ自ら第一線に出て先頭に立ち突破口を切り開け

再び屋外用マーキングフィルム開発の話に戻るが、この製品の開発が順調に軌道にのり 私は研究所長になり、S氏は営業課長となって屋外用マーキングフィルムの事業部長 的な役割も果たしていた。そんな或る日、私が研究の用件で本社に出張した。S氏の 部下たちが何となくざわざわしているので、その理由を聞くと「名古屋のT社に販売し た製品で大きなクレームが発生した」と言う。「S氏は?」と聞くと、体調が悪くて 会社に出れない状態で、皆でクレームの対処に困っている」との答えである。

私は即座に本社での研究打ち合わせをキャンセルして名古屋に飛んだ。T社に行ってみ ると、「T社に納めたフィルムを原料として自動車会社に納入するステッカーを製造し たところ多くのステッカーのフィルムに微細穴が発見され、納入出来ない状態である。

納入期限に間に合わないと大変なことになる」ということである。私はステッカー全部 を一旦魚津工場に送ってもらって直ぐに工場に帰った。到着したステッカーを全品検査 して穴の無いものは送り返して製品として使ってもらい、不足分を製造するためのフィ ルムを急遽製造してT社に送った。

何とか危機を切り抜けたものの、フィルムに微細穴の発生する原因を突き止めねば再三 同じクレームが発生することになる。微細穴を慎重に観察した結果微細穴の原因は着色 顔料にあることを突き止め、顔料供給メーカーを尋ねて製造現場を見学し、また改善対 策の意見交換をおこなった。結論的には、その顔料会社の顔料を使用する限り改善不可 能と判断し、他の顔料メーカーを訪問して回り、信頼できる会社を探し出すことが出来 た。副次的には調色費用の低減も可能になり、その後の収益に大きく寄与するようにな った。このようにプロジェクトリーダーが壁に突き当たった場合には、研究開発トップ は陣頭に立って活路を開かねばならない。

私もS氏も定年退職した後、杯を酌み交わしながら昔ともにした苦労話に花を咲かせ た時、S氏は「フィルムの微細穴だけは自分の力で解決できなかったが、誰かが解決 してくれた」と語っていた。私はあえて説明する必要もなかった。むしろ、「私の失敗 作であるグラフトマーを単に失敗に終わらせず、マーキングフィルムに適していること を発見して何とか私を救ってくれたのは貴方だよ」と話したら、S氏は「そういうこと になりますかねー」と笑っていた。

 

3-6.プロジェクトリーダに手柄を立てさせろ

私は研究開発に携わっていた30年間で約100件程の特許を取得した。しかし研究開 発のトップになってからは自分の名前で出願したことは殆どない。もちろん、いろんな アイディアを出して研究開発の推進の方向を何度も出しているが、実験してくれた人の 特許にして自分の名前を連ねることは避けてきた。今日の考え方からすれば古い考え方 かも知れないが、このような考え方はプロジェクトチームの活性化には大変役立ったと 思っている。

私は「人造イクラ」の開発をやったが、その初期には私名の特許があるかも知れないが、 開発が軌道に乗る見込みが出てからは一切の特許はプロジェクトリーダー名で出願し そのプロジェクトリーダーは特許庁長官賞を受賞し、更に科学技術庁長官賞も受賞した。

「人造イクラ」の開発というのは日本カーバイドの開発テーマとしては、いささか𦚰
道的テーマであるにも関わらず、頑張ってくれたプロジェクトリーダーには受賞は些か の恩返しになったと思っている。「人造イクラ」自体は大きな利益を生まなかったが会 社の宣伝費としては大きなものを稼いだと思っている。

 

3-7.若い人に失敗させることを恐れてはならない、地位が上がってからの失敗は恐

私自身の研究歴を振り返ってみると、日本カーバイド入社以来8年間ほどは研究として は殆ど失敗は無かったが、研究開発としては失敗続きで会社への寄与としては全く無い と言っても過言ではなかった。(言い訳ではないが、その理由の一つは指導者の研究開 発方針がなかったことである。極端な時期には、専務取締役工場長兼研究所長の某氏に 平社員であった私が「研究の大きな方針だけでも出して下さい」と直訴したが答えは「研 究していれば自然にボルテージが上がり自然に火花(成果)が飛ぶよ」といったもので、 一向に要領が得られなかった) 。

その間に使った会社のお金は人件費を含め一年間に平均1億円弱程度だったと思って いる。その後に無可塑剤軟質塩化ビニール樹脂プロジェクトを行って5億円程のお金を 使い、それも失敗に終わった。その時は、真剣に「会社に辞表をだそうか」と思ったが、 その無可塑剤軟質塩化ビニール樹脂を、その後の一連の屋外用ステッカー類開発の発端 してくれた部下のS氏の努力によって救われた。それがプロジェクトリーダーとして の最後の失敗であり、成功の始まりでもあった。してみると私は入社以来、約13年にわたって13億円程の金を使いながら、会社の利 益には繋がる開発は出来なかったのである。

しかし、その間に私は常に内省することを忘れず、所謂、「価値ある体験」を積むこと が出来たので、それ以後はプロジェクトリーダーとしても、研究開発トップとしても失 敗したことはまず無かったと思っている。成功した開発製品によって何とか使った金を 上回る利益を会社にお返ししてリタイヤー出来たと思っている。

もちろん、それ以上の貢献をして会社をリタイヤーされた先輩もおいでになるが、反面、 数年で数十億円もの損失を出された例もある。 若い時の失敗は何とか取り返せるが、地位が上がってからの失敗はその額も大きく、取 り返しのつかないことが多い。

 

3-8.成長しそうな人材には金を使わせろ、金を使わないで育った人材はいない

上記のように、私は若い時には多くのお金を使わせていただいた。そして、それは取り返せたと思っている。だから、若い有望な人には恐れることなくお金を使わせた。結果的には、その時に思い切って金を使わせた人は後に立派に育って会社の中心的人材として働いてくれた。

逆の例を挙げると、私が研究副所長時代、有望な研究員を製造部の要望によって研究所から出したことがある。しばらくしてから、工場長が「彼も随分、成長した」とお褒めの言葉があったが、私は「私は、その様には思いません」と答えた。工場長から「何故おまえは、そんなことが言えるのか」と聞かれたので、「製造部に出てから彼は金を使った仕事(製造装置改良など)をしていません」と答えた。会話はそれで終わったが、彼にはもっと金を使わせて貰きたかった。

やはり人間は金を使わないと本当の意味で真剣にはならず、「価値ある体験」も積めないのかな?と思う次第である。

 

4.プロジェクトリーダーの役割

 

4-1.プロジェクトリーダーはプロジェクトを管理する人ではない、プロジェクトの目的を何が何でも達成する人である

この表題は、前述のように私がプロジェクトリーダー選定の基準の一つとして重要視し たものであるが、私の経験では、成功したプロジェクトのリーダーはすべてこの条件を 満たす人であったと思う。逆に、リーダーがプロジェクトの管理に力を注ぎ、プロジェ クトメンバーの評価などばかりに時間を費やしているようでは、プロジェクトは委縮し 活力を失うことになる。

このようなプロジェクトではプロジェクトメンバーは建設的意見を出してこないよう になる。成功するプロジェクトリーダーはむしろ、プロジェクトの活性化に力を注ぎ、 成功の暁には全員で成功の喜びを共に共有することを楽しみに、それを目的に努力する。

 

4-2.プロジェクトメンバーの意見を聞きいれ、自分の考え方も伝えよ、決して一方的に指示するな

プロジェクトを活性化するには、リーダーはメンバーの意見を極力受け入れ、彼らの自 主的意欲を高めなければならない。その半面、リーダーは自分の目指すところ、考え方 を明確に部下に伝えて部下がそれを理解した上で自発的発想を出し合い、目的達成のた めに力を結集する形が理想的である。

一例を挙げると、私が人造イクラ開発のリーダーを務めて時に、担当者は一応、人造イ クラ製造を実験室スケールで成功してくれた。そこで、当然にその担当者は「中間試験 をやりたい」と申し出てきた。しかしながら、私の目から見ればその製造方法は生産性 が悪く製造コストが嵩むことが懸念された。普通ならその申し出を拒否すべきだったか も知れないが私は彼に「その製造法で中間試験に成功し、さらに実生産設備で作った時 の人造イクラの原価計算をやってみてくれ」と言った。彼は非常に優秀な化学工学専門 の技術者だったので、数日で原価計算の結果を持ってきた。その結果は何と天然イクラ の数倍の値段である。彼も今の製造法での実用化が不可能であることが直ぐに納得であ った。

「何とか、生産性を10倍程度に向上する全く別の製造法を考えて欲しい」と言ったと ころ、彼の答えは「それは、ちょっと考えられません」ということである。確かに、人 間というものは、或る方法で一旦成功すると、それに捉われて他の方法を考える意欲が 出なくなるようである。私は彼に言った「人造イクラは日本カーバイドにとって脇道的 研究である。あなたの力を発揮できる本筋の仕事は沢山ある。そちらで、力を発揮して 欲しい。」ということで、彼は製造部に移籍して多くの仕事を残してくれた。

一方人造イクラの仕事には、製造部にいた別の人を採用して、「貴方には従来の方法と 全く別に、生産性を10倍程度にする方法を考えて欲しい」と言って、「実験室に先任 の人が作った装置があるが、それで一度でも実験をすると、それに捉われて新しいアイ ディアが出なくなる。今日すぐにそれを壊して新たに実験を開始して欲しい」と指示し た。

それから数日して実験室に行ってみると、何と、彼は以前からの実験装置で実験してい るではないか。「それはいかん、すぐに壊しなさい」と言うと「これを壊すと私はどう すればよいのですか」と困り果てた様子である。「まあ、兎に角いまの方法では駄目な のは、はっきりしているから壊しなさい。心配しないでよいから、私も考える、一緒に 考えようではないか」と説得して納得してもらった。それから二人で一緒にいろんな方 法をトライしたが、彼は実に粘り強く一つ、また一つと頑張ってくれた。その結果、よ うやく目標とする生産性に到達でき、実生産に踏み切ったのである。
人にはそれぞれ持ち味がある。それをうまく引き出して目標を達成するのがリーダーの 役割である。

 

4-3.プロジェクトリーダーは部下からの意見を尊重し、学べ、その姿勢があれば部下が提案してくれ、リーダーを助けてくれる、メンバーのチャレンジ精神も高揚する

私が無可塑剤軟質塩化ビニール製造の中間試験工場を建設して運転していた時のこと である。新しい試験工場のため製造部や他の試験工場から応援を求めて運転員を確保し た。集まった運転員の中には運動部に所属したり、ボーイスカウトの指導員をしたりし て活動している人が多かった。

当時は化学工場では試験工場を含めて4班3交代制で土、 日、休業なしに24時間運転するのが一般的であったが、私の試験工場では運動部員の 対外試合や、ボーイスカウトの行事が日曜日に集中するために、日曜日を定休として欲 しいとの要望が強かった。或る日、運転員の中で人望ある班長が来て「何とか日曜定休 を実施して欲しい」と言ってきたので、「中間試験の実験スピードを低下する訳にはい かない。然し今のスピード(1週間の実験回数)を落とさないのなら、班の編成、運転
方法はすべて君に任すから工夫して日曜定休にする方法を考えてもらいたい」と答えて、 全てを彼に任せることにした。

彼は職場の仲間と相談して私の要望を満たして日曜定休 にする編成を考え出してくれ職場は日曜定休となった。後日、彼らと宴会などで飲む機 会があるごとに、彼は「実は紙尾さんから日曜定休に反対されると思って行ったのに、 君に任すと言われて、あんなに困ったことは無かった、皆で相談してようやく編成を考 え出すことができました」と嬉しそうに話してくれた。この1件があって以来、運転員 からいろんな意見が出るようになり、いろんな装置改良や安全運転に役立ち、大変に助 けられた。また彼らは私のために必死に働いてくれた。

また別の話であるが、私は3年間ほど日本カーバイドの主力工場である魚津工場、早月 工場の工場長を兼ねて担当したことがある。当時は、結構労働組合の力が強く、工場長 は組合との関係にかなり神経を使っていた。私が着任して最初に組合幹部と交渉したの は、「一人一要求」という制度であり、組合が組合員一人一人から各人1件ずつ会社に 対する要求を集め、その実施を会社に求めるものであった。

席上、まず私は「皆様が働きやすい職場であるために、本来なら経営者である工場長の 方で皆様一人一人の要望をお聞きして検討しなければならないのに、組合の方で要望を 纏めてもらって本当に有難い。よく検討して実施できるものは出来るだけ実施して皆様 の働き易い職場を作りたい」と切り出した。私は本気で、それが筋だと思っていた。

もちろん、1000件に近い要望を皆実施できる訳でもなく、実施出来た要望は僅かで あったが、組合の委員長は私の発言の意を汲んでくれ、非常に満足して組合員を纏めて くれた。以後、組合問題で神経を使うことはなかった。

もう一つ例を挙げると、私が日本カーバイドの分析部門を独立させた、デックリサーチ センターという会社の社長をやっていた経験があるが、社長といっても小さな会社なの で一つのプロジェクトのようなものであった。部門としては、環境分析、一般機器分析 の二つであったが、各部門の中でもまた幾つかのグループに別れていた。

会社の方針としては、客先からの依頼から報告書提出までの期間を短縮することを一つ の目標としていたこともあり、また部門、グループの垣根を越えたアイディア、意見の 出し合いを狙って「難問解決会議」という打ち合わせ会を毎週1回、設けた。会社の全 技術員に集まって頂いて、お互いが抱えている難問を発表してもらい、それに対する解 決策を全員から自由に発言してもらうようにした。結構活発な意見の提出があり、行き 詰っている問題が解決して客先への報告書提出期間が短縮されて、客先からの評価も向 上して経営上も大きな成果が得られた。副次的には、グループ間、技術員間の風とうし も良くなって職場の活性化にも役立った。その結果として、私が社長に就任した時には
デックリサーチセンターの受注の80%以上が親会社からのものであったが、退任の時 には40%程度と、大部分を親会社以外の客先からの受注に切り替えることが出来たし、 在任中は親会社に利益を還元し続けることも出来た。このような結果は全て会社従業員 からの提案と活力を生かさせて頂いた結果である。

 

4-4. プロジェクトリーダーはメンバーの失敗責任を取れ、それが自分の財産となる、逆に自分が失敗した時は部下に伏して詫びろ

無可塑剤軟質塩化ビニール製造の中間試験工場を立ち上げた時のことある。基礎実験で
成功した重合処方で運転指示を出したところ、全く重合しないという事態が起こった。
処方を改良して何度トライしても同じことである。夜中に心配で、夜勤で運転している
試験工場へ何度か行ってみても同じことである。或る晩、酒を飲む機会があり、帰り途
にまた心配になり、つい試験工場に立ち寄ってしまった。(本当は、酒気をおびて工場
に立ち入ることはルール違反であったが)重合槽の圧力計を見ると一向に重合の気配が
ない。運転員と少し話合ったが、「紙尾さんの処方は駄目ですね」と言う。「済まんな」
と言って外に出たが、帰り途、私の処方箋を信じて夜中も運転を続けてくれている運転
員達に申し訳ないという思いがこみ上げてきて、思わず一人、涙があふれ出た。

翌朝出 社して、「今度も駄目だったか」と思って試験工場に直行したところ、「うまくゆきまし
た」と運転員が言う。私は「昨夜、ちょっとお神酒をいれたからな」と冗談を言って互
に喜び合った。実際には新しい試験工場の配管などに付着していたインヒビターが重合
妨害の原因だったようであるが、それに早く気付かなかった自分が恥ずかしかった。
また別の話であるが、私はエチレンの高圧共重合を行っていた関係もあって随分恐ろし
い経験も味わった。一人の作業員がエチレンボンベを誤操作して、エチレンが噴出し、
あわや研究所のみならず製造部の電源も遮断しなければならない事態になった。機転の
きいた技術員2人の処置で結果的には被害はなかったが、周辺が一時騒然となった。

私の責任は重大であった。私は工場長と研究所長を尋ねて、本件については、事故を起
こした作業員については私から注意と教育を行いますので、すべて私の責任として処理
して欲しいことをお願いした。またエチレンボンベを処理した技術員2人には研究所長
から表彰して欲しいこともお願いした。結果はそのとうりになったが、どうした訳か私
には特別の叱責がなかった。しかし、この事件の体験は私の身に沁み、安全に対する意
識について私の大きな財産になり、以後大きな事故を起こすことはなかった。

 

4-5.プロジェクトの活気が落ちた時はプロジェクトリーダーが奇跡を起こせ、その人に部下はついてくる

無可塑剤軟質塩化ビニール樹脂製造の中間実験を行っていた時、用途開発用に樹脂の生 産量を次第に増加していった。乾燥機のキャパシティーが足りなくなったので新しい 乾燥機を設置することになった。新しい乾燥機は本プラントのモデルでもあるので、乾 燥コストの安い流動乾燥機を選定することにした。然し、そこには大きな問題があった。

それは重合法として乳化重合を採用していたので、樹脂乳液を塩析して析出された樹脂 はちょうど合成ゴムのようにやや粘着性を持ったスポンジ状の塊であったことである。
これでは、とても流動乾燥機で乾燥することが出来ないことは明白であり、バンドドラ イヤーのような非経済的乾燥機を採用せざるを得ない。プロジェクトの技術員達に、「塩 析工程において流動乾燥機で乾燥出来るような状態の粒子が得られるように改良し欲 しい」と要望した。

ところが、プロジェクトの技術員全員が「それは不可能です」と、私の要望は不可能だ と反論した。そこで、私は一つの提案として「それでは粘着性を持ったスポンジ状の塊 を使って理想的粒子を作ってみよう。その粒子が若し流動乾燥機で乾燥出来るような粒 子であれば、塩析工程を再検討してそれに近い粒子で取りだすことにチャレンジしてくれるか」という質問をしてみた。全員が「そんな粒子が出来るようなら、塩析工程を再検討してみましょう」と同意してくれた。

そこで私は塩析で得られたスポンジ状の樹脂を樹脂加工用の押出機にかけて小粒のペレットを製造してみた。得られたペレットは粘着性が無く流動乾燥機で乾燥出来そうなものであった。(後で考えたら、軟質塩化ビニールのペレットに粘着性が無いのは当然であるが)それを見た技術員は、「ではチャレンジしましょう」ということになり、塩析工程の改良に取りかかってくれた。その結果、つい数日前まで「不可能」と言っていた技術員が何と3日で目的の塩析物を作ってくれたのである。もちろん、流動乾燥機の導入が決定された。

プロジェクトのチャレンジ精神が衰えた時には、リーダーはこのようなモデル実験を提 案するなどして奇跡を起こすことも必要である。
1972年に日本カーバイドは経営不振の結果、会社が銀行管理下に置かれる状態にな った。折角、石油化学に進出した子会社は売却され、その関係の研究者は売却先の会社 に引き取られ、日本カーバイドの研究は製造部の技術に限定されて日本カーバイドの自 由研究は全く認められなくなった。日本カーバイドの自主研究が無くなったことで、研 究所はもちろん、会社全体としてもすっかり活力を失ってしまった。行きどころを無く した研究員の何人かは筆頭株主である三菱化成に引き取られたが、それでも何人かの研 究員が残ってしまった。

幸いに三菱化成からのご厚意で、1年間の委託研究で8名の研究員(大学卒3名、高卒 5名)の人件費と研究費が賄われることになり、私がその委託研究の責任者(課長)に 任命された。三菱化成から研究テーマが提示されたが、テーマの内容は「分子量分布の シャープなエピクロルヒドリンポリマーの製造」という極めて難しいものであった。そ れまでにエピクロルヒドリンの重合研究を行った経験のある私には「このテーマは1年 間で出来るような簡単なものではない」ということが一目瞭然に判断できた。とはいっ ても、このテーマは委託されたものである。日本カーバイド研究陣の名誉にかけて何と しても恥ずかしくない結果を出さなければならないと決心した私は「結果的に、与えら
れたテーマが成功しなくとも、結果だけは早く出そう。そうすれば最小限[日本カーバ イドのレスポンスは速い]という評価だけでも得られる」と考えた。

いろいろと、目的を達成するためのアタックルートを考えたが、結果として重合法より も高分子量のエピクロルヒドリンポリマーを素練りによって物理的に切断してみては 如何だろうという結論になった。重合によって目的を達成することを期待しているであ ろう三菱化成の了解を得るために東京の三菱化成本企画部を往訪した。企画部の話で は「方法は任せる。とにかくやってみてくれ、現在は高分子量のポリマーを日本ゼオン 社を通じて輸入して、溶剤分別で低分子の分子量分布のシャープな部分のみを使用して いるから、すぐに原料の高分子量ポリマーを魚津研究所に送りましょう」ということで あった。

私は「送ってもらったのでは時間がかかる。その時間も無駄時間だ。持って帰ろう」と 思って、その足で、日本ゼオンに行きサンプルを貰って、それを持って夜行列車で帰っ た。翌日から早速、サンプルの素練りを始め数日で三菱化成の要望する分子量まで分子 量を低下することに成功し、早速、三菱化成に送って要望どうりの分子量分布になって いるか測定してもらうことにした(丁度その日に三菱化成からの原料ポリマーも到着し た、ということは三菱化成側からすれば実験に要した日数は1日である)。1週間ほど で三菱化成からの連絡があり、分子量分布も希望どうりであるとの答えであった。何と、 1年計画の委託研究が1週間程度で終わってしまった。しかも工程は30分程の素練り
のみであり、収率も100%である。

私は再び三菱化成企画部を訪問したところ先方の驚きようは大変なものであった。「う ち(三菱化成)の研究所では何年間かの懸案だったのに、紙尾さん、一度うちの研究所 で講演してもらえないですか」との要望もあったが、先方の研究員の立場を考えて、丁 重にお断りした。逆に、残りの委託研究費を自由に使わせていただきたいと申し出たと ころ、快く了解していただいた。

結果的に、このような奇跡的結果によって自社の費用負担なしに日本カーバイドの自主 研究が復活することになり、日本カーバイドの研究所の活気が一挙に復活し、会社全体 としても活力が出てきた。私自身にとっても期待値以上の結果であったが、グループリ ーダーが奇跡を起こすことによって研究所のみならず会社の活力も出てくるという、よ い体験をさせて頂いた。

付記すると、それ以来三菱化成が日本カーバイドを見る目が変わってきた。三菱化成が トナーの製造に乗り出すに当たって、それに使うバインダーは自社で製造するより日本 カーバイドに製造依頼した方が速かろうということで、トナーバインダー製造依頼を頂 くことになった。トナーバインダーは今でも日本カーバイドの製品の一つである。

4-6.プロジェクトリーダー自らも外に出て学び続け、グループメンバーにも外へ出る機会を与え、人に質問する訓練をさせろ
私は、グループリーダー時代は月の4分の1程度は外に出ていた。高分子関係の仕事をしていた関係もあり、いろんな大学の高分子関係の先生のところにはよくお伺いした。ついでに、出身の教室にもよくご挨拶に行ったので、教授から「こんなに出張ばかりしていて、会社は大丈夫なのかね」と言われた程である。多くの著名教授にいろんな質問をし、お話していると、文献では得られない3次元的な知識が得られ、また学界の研究動向を伺い知ることもできた。
グループのメンバーも学会などに極力出席させるようにし、あまり詳細な出張報告は求めないで「学会でどんな質問をしてきたか」だけは報告させるようにした。学会に出て質問もしてこない人には、あまり出席の機会を与えないようにした。

 

5.担当者の心構え

 

5-1.「俺はプロだ」という自覚とプライドのない者はプロにはなれない、プロの研究開発者は責任感、判断力、説得力を持たねばならない
研究者に限らず、プロであろうとする人は誰でも「俺はプロだ」という自覚とプライド を持たない者はいないと思う。この意識なしには、研究者もプロ研究者になることは難 しく、サラリーマン研究者に終わるであろう。今後、グローバル化した競争の中で生き 抜くためにはプロ研究者でなければ戦力とはなり得ない。

学力や経歴はともかく、先ずプロ研究者に必要なものは責任感、判断力、説得力である。 責任感に欠ける研究者は、「与えられたテーマをこなせばいい」という意識に陥りがち であり、それを超えて会社のために積極的に上司に意見具申したり、与えられたテーマ のより良いアタックルートを提案しようとする態度に欠けるのが一般的傾向である。こ のような研究者の集団では活力ある研究チームは望めないし、研究者の成長も望めない。

次に判断力の問題であるが、プロの研究者は与えられた研究が不可能な研究と判断した 時には断固として研究を中止する判断力と勇気を持たねばならない。不可能と判断して、 若し世界の誰かが成功すれば即自分の負けである。プロ研究者はこのような厳しい世界 で生き抜いていく訳であるから、何としても判断力を磨くことに努力しなければならな い。判断力の無い研究者はプロ失格である。研究テーマの可能、不可能を判断すること を避け「難しい」などという曖昧な言葉で判断を濁しているようでは全くプロとはいえ ない。

研究者は研究に成功しても、それを製品に結び付けるには多くの人を説得し、その研究 開発に投資してもらわなければならない。そのためには、是非とも多くの人を説得する 説得力を身に付けなければならない。説得力は単に上司に対するものだけではなく、部 下や営業部門や経営者に対する説得力も大切である。説得力の無い研究者が研究に成功 しても、それが新製品に結びつく可能性は少ないから、多分、その研究は無駄になるで あろう。世の中に、「自分を認めてくれない」とか「部下がついてこない」と嘆く研究 者が多いが、その様な人は説得力に欠ける人である。嘆く前に、自分の説得力を磨くべ きである。

5-2.プロの研究者は与えられた仕事をこなすだけで満足するな、自分で目標を持ってチャレンジせよ

プロの研究者は常にチャレンジ精神を持ち続けなければならない。チャレンジするとい うことは、常に自分の目標を持つということである。目標なしにチャレンジすることは 出来ないし、その目標は世界トップを目指すものでなければ今日のようなグローバル化 した時代には通用しない。

日本が成長期にあった時代には、技術は外国から買い、その技術に日本特有の品質管理 技術をプラスして一応は世界的技術大国となった。しかし、今やそんな時代は過ぎ去り、 持っていた技術力は海外に切り売りして生活しており、貧困国に向かって進みつつある。

今、日本の研究技術者は技術流出のスピードをはるかに上回るスピードで世界ダントツ の技術を生み続けなければ、日本は間もなく貧困国に落ち込むことは目に見えている。

このような状況下で「研究者が与えられた仕事をこなすだけで満足している」ようでは プロ研究者どころか、研究者失格である。2-3.にダイヤモンドエンジニアリングの 前田社長が経営理念として挙げておられたように
人類を敬愛し、ロマンを愛して世界を歩き、時代の風を肌で知る
失敗を恐れず挑戦して新産業革命の波を取り込む
夢と創造を継続して人類に貢献するシステムを提供する

という信念を胸に刻んで自分の目標を立てて、それに向かって突進すべきである。 付記すると、極最近の前田社長からのメールによると次のようなことが書いてある。
最新のDECのキャッチコピーは「今、一瞬も進歩する」としています。地元のテレビ にも出してもらいましたが、皆さんそろって、このキャッチコピーが気に入ったようで した。
もうひとつみんなに言っているのは、自分の経験では、「今、一瞬も進歩する」活動を していたら、どの事業でも「助けてくれる人が社外から現れた」ことです。一生懸命さ が相手に伝わるのではないかと思っています。
自分には無理に見えても「世の中には成功への手伝いをしてくれる人が必ずいる」と思 っていることが、挑戦し続ける意欲とあきらめない意思を保ってくれるのではないかと 思い、これこそが自分の財産ではないかと思っています。
今、一瞬も進歩する精神からすると、郷に行っては郷に従うという考えになり、親会社 や上司という「上から目線」がなくなります。・・・
前田社長からのメールには啓発されるばかりである。

5-3.プロの研究開発者を目指すなら「研究内省日記」を書き、成功、失敗の原因を分析し、内省し、自己の進歩に役立てろ

先日、テレビを見ていたら菊池雄星投手のインタビューがあったが、彼の日課には「日 記を書く時間」というのがあった。菊池投手ならずとも殆どのプロ選手はその日の練習、 あるいは試合内容を分析して書き記し、改善の糧としていると思う。(前述の「価 値ある体験」参照) 

はからずも、私も大学院時代から30年間程、折に触れて研究の成功、失敗の原因を分 析して書き遺し、後日の研究に生かしてきた。その「研究内省日記」は最初の頃は特別 の基準なしに書いていたが、次第に内省の基準に気付き、できるだけその基準に照らし て内省するようになった。内省基準の主たるものを列挙すると、(1)責任を回避しな かったか?(2)判断を躊躇しなかったか?(3)プロとしてのプライドを維持出来た か?(4)確固たる判断を貫きとうせたか?(5)合理主義に徹したか?(6)確かな 思考(「研究の話」参照)ができたか?(7)研究目標の設定が正しかったか?(8)
目標達成のために選んだアタックルートの選定が正しかったか?という8項目である。

永年勤務した日本カーバイドの退職も近くなった頃に、分厚く溜まっていた「研究内省 日記」を整理して、そのエッセンスを「研究の話」という小冊子に纏めて、社内の若い 研究者の参考にでもと思って出版した。

その本が他社の経営者の目にもとまり、それがご縁となって日本カーバイド退職後は栗 田工業や帝国インキの顧問を合わせて10年近く務めさせて頂いた。 もちろん、最初から小冊子を出版することが目的ではなかったが、「研究内省日記」は 私の研究人生に大変に役立った。皆様にも「研究内省日記」を書き続けることを是非お 勧めする。

5-4.経験と体験は異なる、原因分析された体験は「価値ある体験」である、「価値ある体験」を積めば成長していくが、単に経験を積めば積むほど老いていく

人は年を経るにしたがっていろんな経験を積んで行く。然しそれは単なる経験であって 将来の未知の世界に向かって行かねばならない研究開発に役立つものではない。寧ろ、 将来の研究開発の害になることも多い。問題は経験の内容である、経験の内容が単なる 現象の記憶であるならば、その経験はおそらく有害無益である。経験は過去のものであ り、研究開発は将来、未知の世界に向かってものだからである。

私は「経験」と「体験」を区別して理解している。経験とは単なる現象の記憶であり、 体験は心に深く刻まれて忘れることの出来ない記憶である。一つの例を挙げよう、私達 が大学を卒業して、教授の方々を招待して謝恩会を行った際のことである。会の終わり に私が「謝恩の辞」を述べ、最後に主任教授の児玉信次郎先生から、社会に出ていく私 たちに「訓示」を頂いた。児玉教授は「社会に出た場合に、単に研究開発に取り組むの ではなく、人間関係を重視し、人を説得する説得力を身に付けなければ研究は成功しな い、今、話した人なんかは全く説得力がない・・・」と述べられた。名指しで注意を受 けた私にとっては、そのお言葉は正しく「体験と」として今でも忘れることがなく、会 社勤務時代には貴重な教訓となって大変に役立った。

卒業後、10年して同級会を行っ た際に、隣の席の友人に、謝恩会の時の児玉先生の訓示の話をしたところ、彼は「そん なことがあったかな?」と言っていた。児玉先生の訓示は私にとっては「体験」であっ たが、隣の友人にとっては「経験」であったのだろう。きっと、その人は折角の児玉先 生の訓示を生かしきれなかったに違いない。私は名指しで注意を受けて恥ずかしい思い をしたが、その代償として貴重な「体験」を得たのである。このように「体験」は役立 つが「経験」は役立つことがない。

折角の体験も、ただ現象(例えば研究開発の成功、または失敗)をそのままで記憶した のでは、応用がきかない。体験は必ず成功の原因、失敗の原因まで解析して、寧ろそ の原因を体験としなければならない。このように原因解析された体験を私は「価値ある 体験」と言っている。

日常、「経験」を「体験」に変換し、「体験」を「価値ある体験」に変換して記憶するよ うにしなければならない。「経験」を「価値ある体験」に変換して「研究内省日記」に 記載しておくことは非常に役立つのである。

「価値ある体験」を一つ一つ積み上げておけば将来、未知の世界である研究開発を任さ れたときに、それはきっと貴重な判断基準になってくれ、研究開発を成功へと導いてく れる。

単に「経験」のみを積み上げていけば、人は次第に老いてゆき、何時までも失敗をくり かえす。そして、若い時の失敗は損失も少ないが、会社の要職に就いてからの失敗は損 失が大きく、会社を窮地に追い込むこともある。
若い研究員はこのようなことを若いうちから念頭において研鑽を積まねば年を取って から始めたのでは「価値ある体験」を積むことは不可能である。

5-5.自分の体験だけでは足りない、他人、他グループの思考法、動向も自分の体験として取り込め

「価値ある体験」を積むと言っても、人間一生、自分で体験できることは高が知れてい る。将来、研究開発を間違いなくリードするには自分だけの体験では不十分である。そ れを補うためには、他人の体験も生かすべきである。例えば、自分の近隣の研究員、研 究グループの動向、思考法も見聞きしてそれを自分の判断基準で判断して近隣の研究が 正しい方向に進んでいるか否かを占うことである。数年経ってその研究が自分が占った 方向に進んでいれば、自分の判断が正しかったことになるし、そうでなければ自分の判 断が間違っていたのである。いずれにしても、その原因を蓄積して行けば、それも立派 な「価値ある体験」になる。

一つの例を挙げると、私が日本カーバイドに入社して間もない頃、私は高分子グループ に属していたが、ケミカルスのグループでは、一つの含塩素系の農薬を開発していた。

当時、日本カーバイドでは電解で塩素を生産していたので、私は含塩素系のケミカルス 開発の一環かな?それとも、農薬分野に進出しようとする意図があるのかな?と思って、 ケミカルスグループのリーダーにその意図をお聞きした。帰ってきた答えは、「紙尾君、 そんな難しいことは考えなくてもいいんだよ。要は、それが儲かるからやっているんだ よ」ということであった。私は、研究というものはそんな単発的考えでやったのでは効 率が悪く、もっと系統的に、農薬なら農薬、塩素利用なら塩素利用と方向性を絞って進 めるべきだと考えていたのでその答に愕然とした。果せるかな、その農薬は一時的には 売れたが後が続かず、そのグループは尻つぼみになって衰えていった。やはり私の判断 が正しかったのである、このようなことも自分の「価値ある体験」として、以後私は非 系統的、単発的研究は避けてきた。

5-6.明日の作戦は前夜までに考えろ、勝負は朝、会社に出社した時に決まってしまっている

プロの研究開発者は「脳」という体の一部で勝負する商売である。しかし、「脳」も体 の一部である以上、体のあらゆる器官の影響を受けながら働いている。したがって、い ろんな体調で「脳」を使ってみないと本当の自分の「脳」の能力の限界が分かるもので はない。意外と能力ある「脳」を持ちながら、それを生かし切っていない人が多いので はないだろうか。

人それぞれに、体力の特徴があるように、「脳」にも特徴があるのだと思う。したがっ て、どうすれば「脳」がよく働いてくれるのかということは一般論として論じるよりも、 いろんな状態で物事を考えて、自分なりにその癖を見出すより仕方がないと思う。一番 いいのは自分であらゆる状態で自分の「脳」を使ってみることである。そして考え続け ることである。

研究開発の問題点もこのように自分の「脳」を使いきって考えて対策を考える必要があ る。サラリーマンは朝出社したら、プロ野球でいえばもう「プレーボール」の声がかか っている。プロ野球の選手で「プレーボール」の声がかかってからトレーニングを始め たり、今日の試合の作戦を練る人はいない。試合に勝つも負けるも、プレーボール前の トレーニング、作戦の練り具合にかかっている。同じようにプロ研究開発者も朝出社し た時までのトレーニング、作戦次第でその日の勝負は決まっている。その日の作戦は 前夜に考えておかねば、朝会社に来てからジタバタしてもどうなるものではない。

5-7.寝ていて「よいアイディア」が浮かんだら、早く実験してみたくて夜明けが待ち遠しかった体験があるか

私は研究に問題があると、寝ても覚めてもそれが頭から離れないので、夜中に目覚める ことも多かった。たまたま目覚めた時に、いいアイディアが思いつくと「早く会社に行 って試してみたい」との思いに駆られ、夜の明けるのが待ち遠しかったこともある。 私は睡眠中にふと目覚めると「神様が、今寝ている時でない。今考えてみなさい」と起 こしてくれたのだと思っていた。だから、夜中に目覚めることは気にならなかった。多 分、何かの具合でその時に「脳」が働いたのであろう。

5-8.仲間同士で勉強会を持て、他グループの人とも交流して自主的に勉強しろ

私が大学院時代に、何となく学科を超えて仲の良い友達4人が集まって、Hückelの名著Die Grundlage der Theoritischen Organischen Chemieを毎週1回輪読した経験がある。平素全く接するようなことのない名著を読むことによって、有機化学の先駆者たちの思考法が大変勉強になり、また4人の付き合いも一層深まって、年末には4人ですき焼き忘年会をやった楽しさは今も忘れることが出来ない。おそらく、一人ではこのような(ドイツ語であることを含めて)難解な著書を読み切ることも出来なかったろうと思うし、輪読会の楽しさを味わう機会もなかったと思う。輪読会とは本当に楽しいものである。

会社に入ってからは、高分子に全く知識のない私は、高分子物性専門の府川氏にお願いして、彼が選んでくれたCopolymerization を一緒に輪読させてもらって、ラジカル重合の基礎を勉強させてもらった。その後、グループ内の友人、グループを跨いだ友人と幾つもの輪読会をやり、グループの部下にも輪読を勧めた。一人では怠けがちになる勉強も抵抗なく出来るし、研究所内の風とうしもよくなり、困った時にもお互いに相談し易くなるので大変に役立ったと思っている。若い人には是非輪読会を勧めたい。

またグループリーダー時代には、グループリーダー同志が相談し合って毎月研究発表会を行い、各グループ1件の発表を行って全員で質疑討論し合った。このような活動も研究開発チーム(研究所)の活力を高め、人材育成に役立ったと思っている。個人、グループ内、グループ間の自主的研鑽が研究開発チームの活力を高め、人材育成の特効薬である。

5-9.外に出て一流の人に会って勉強しろ

研究員は極力外に出て、一流の人に会って学ばなければならない。社内の指導者だけで は全く不十分である。世間は広い、外に出て一流の人に会ってその人の意見を聞き、ど のような本を読めばよいか聞き回った方がよい。少なくとも私はその様な学び方をした。 (「研究の話」添付CD収録「人に学ぶ」参照)

大学院時代は、研究室の予算上、学会に出席させて貰えないことが多かったが、プログ ラムを見て興味ある発表のある学会には自費で出席し、聞いた発表には積極的に質問の した。学会の会場で、偶然、教授に出会ったら、「君も来ていたのか、これを取ってお け」とおっしゃってポケットマネーを頂いたこともあった。プロとして成長するには、 若いうちに自費を使っても自己に投資しておかねばならない。

5-10.もう一人の自分を持とう

最後に一言、「自分には才能がない」などと思わないでください。どんな人でも、ほんの小さくとも、その人特有のいいものを必ず持っています。それは研究開発に無関係で もかまいません。「もう一人の自分」に、その特有なものを見つけて貰って大きく褒め てもらいなさい。きっと自信が湧いてきます。

自信が湧いたら、「もう一人の自分」に、自分の欠点の一つを見つけて貰いなさい。そ して「あなたは、随分成長したじゃないの」と言ってもらい「あなたは、もう一つ、こ こを良くすればもっともっと立派になるよ」とアドバイスして貰いなさい。

人間には其々異なった長所、短所があるが、研究開発にはいろんな異なる特徴ある人材 が必要です。自分の特徴を生かして、このような過程を踏んで成長すれば、あなたは、 きっと立派な研究開発マンになります。 私はそれを絶対に信じて止みません。

6.終わりに

 

以上、以前に書いた「研究の話」を補完する意味で、また何とか研究開発チームの活力向上と人材の育成に役立てたいとの思で、本冊子を書き上げてみた。本冊子においては文脈の都合上、経営者、研究開発トップ、プロジェクトリーダー、担当者と分けて書いたが、会社の事情によっては組織も違い、二つの職務を兼務している場合もあり、名称の異なることもある。したがって、この区分には必ずしもこだわるつもりはない。要は、そのポジションを超えてそれぞれの立場の人と理解し合い、意気投合し、自分を捨て、社会、会社のために戦うチームこそ活力あるチームと言うべきであろう。

ある社長から、「君の書いた冊子は薄いから読む気になったよ」と変な褒められ方をしたが、本冊子も薄いことだけは確かである。手軽に読んで頂ければ幸いである。出来ることなら、「研究の話」、それに付録されている6編の冊子(CD収録)と併せて読んで欲しい。特に若い人に読んで頂けたら、この上ない幸せである。

もちろん、私は自分の一連の著作が若い人に感銘を与えるなどと思い上がった気持ちは全く持っていないが、若い人がどんな著作を読まれようとも、その著作をただ理解するだけでは何の役にも立たない。自分が感動を受けるような著作を選んで読み、且つその感動を自分の行動に実際に生かし、「価値ある体験」を積み、さらにその上に自分の、発想を積み重ねるという努力によってのみ人の成長があると思う。然し、自分を成長させることは、5-10.にも書いたように、決して難しいことではない。一寸した心の持ちようでもある。

若い人は、今後いろんな指導者に成長することを期待され、将来の日本を背負っていくことを期待された人々である。さらに言わせてもらうと、「日本は貧困国への道を歩みつつある」それを逆転発展への道へと転換できるのは、若い研究開発者達のみである。
成長されることを願って止まない。

 

謝辞:

私は「研究の話」、「新製品開発の話」、「特許の話」、「実験道具の話」と一連の「話」シリーズを書いてきたが、私の尊敬する後輩の一人であり「話シリーズ」の愛読者でもある南茂健伸氏から「もう、話シリーズの続きを書かないのですか」、と励まされ続けていたが「もう種が尽きたよ」と諦めていた。

ところが昨年、私が栗田工業顧問時代に大変お世話になり、栗田工業退社後は日本液体清澄化技術工業会国際交流委員長として工業会のために貢献されている矢部江一氏から、同工業会で講演の機会を与えて頂くことができ、聴講者から「研究開発チームの活力と人材育成」に関する質問を多く頂いたのが切掛けとなり「話」シリーズNo.5として本冊子を書く意欲が湧いてきました。
また本冊子を書くに当たり、ダイヤモンドエンジニアリング株式会社社長前田勝彦氏、日華化学株式会社研究開発本部長松田光夫氏に大変なご援助を頂きました。

上記の諸氏および講演に対する質問を下さった方々、本冊子本文中に登場していただい
た各氏に深く感謝の意を表します。

 

 

追伸;本冊子について質問等があれば、メールで是非お寄せください、楽しみにお待ちしています。

 

2010.03.24.
2011.01.21.改訂